π-d系:π電子とd電子が相関する系

 分子性伝導体の伝導を担うπ電子と、カウンターイオンに導入されたd電子(局在モーメント)間に「π-d相互作用」を持たせる「π-d系」は、磁性・伝導性双方の性質を兼ね備え、磁場により伝導性の変調が可能になる機能性分子性結晶の開発が可能となります。従来のπ-d系において、伝導と担う分子と磁性を担う分子は別々の分子を利用しているため、系内のπ-d相互作用は伝導層と磁性層の結晶中における相対的位置に大きく依存し、π-d相互作用を確実に得るためには結晶内でそれぞれの分子の位置を互いの近くに制御することが最も重要になります。しかし、伝導層と磁性層の互いの位置は「結晶を作ってみなければ分からない」ものであり、そのπ-d相互作用を制御することは非常に難しい問題です。
 さらに、「分子性導電体」に磁性イオンを導入したπ−d系と呼ばれる物質では、電気伝導性を外部磁場により制御し得ることがあります。π−d系の構成分子として、同一分子に電気伝導性を担うπ電子と磁性の源となるd電子の両方を含んだ金属錯体は理想的なものになります。
 金属フタロシアニンという広いπ共役系を持つ金属錯体を用いて分子性導電体を作製することで、分子に由来した様々な特異な性質と、単一分子に由来する負の磁気抵抗効果として世界で最大のものを発現させることに成功しました。


π-d系構築のための分子設計

 この問題を解決するため、ジシアノ鉄フタロシアニン(FeIII(Pc)(CN)2)という分子を用いた伝導体の開発を行っています。フタロシアニンとい う巨大なπ配位子の中心にS = 1/2のスピンを持った FeIII原子が存在する FeIII(Pc)(CN)2 分子は、伝導と磁性の双方の性質を一つの分子自身に担わせているため、結晶構造によらず大きなπ-d相互作用を得ることが期待できます。また、π-d相互作用は伝導π電子と局在dスピンが存在する軌道のエネルギー準位差にも依存しますが、ジシアノ鉄フタロシアニンにおいては伝導を担うπ電子が存在するHOMOの直下のnHOMOが局在スピンの存在するd軌道を反映しており、この点からもπ-d系の構成成分として理想的な分子であると言えます。  これまでに、対カチオンの種類によって3つの伝導体の作製に成功し、そのいずれからも非常に大きな負の磁気抵抗効果を観測することができました。分子軌道の縮退に起因してFeIIIのg値は大きな異方性をもち、CN基方向の主値がPc面内にくらべ非常に大きいことがESRの実験から分かっていますが、磁気抵抗測定のいずれの結果も磁場がCN基に沿う方向で最も大きな抵抗減少の効果が得られ、負の磁気抵抗効果が分子の対称性を反映していることが明らかになっており、 FeIII(Pc)(CN)2 分子ユニットをもつ伝導体は、その分子自身のもつ大きなπ-d相互作用のため確実に大きな負の磁気抵抗効果を示すことが約束された系であることが確認されました。


分子設計による磁気抵抗効果の制御

 では、この磁気抵抗効果を化学の立場から制御することはできないでしょうか? 磁気抵抗効果の発現に分子内π-d相互作用が重要な寄与をしていることは先に述べました。このπ-d相互作用を分子設計で制御できれば磁気抵抗効果の制御につながるかもしれません。このような期待のもと、フタロシアニンと分子構造が酷似するテトラベンゾポルフィリンという配位子を用いた伝導体の作製に取り組み、鉄フタロシアニン伝導体と同形の結晶を得ることに成功しました。そして、フタロシアニンとテトラベンゾポルフィリンの分子軌道準位の差異を反映し、その磁気抵抗効果は期待通りの変調を示していると考えられるデータが得られています。  分子設計をもとにした軌道準位の制御を通して磁気抵抗効果を制御する試みは、分子性化合物(有機化合物)ならではのものであり、化学と物理の密な連携がいつの日か室温で巨大磁気抵抗効果を発現する分子性化合物を生み出してくれるかもしれません。




参考文献
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