熊本大学 理学部

Pure Science

キラルケイ素分子の化学

化学コース 教授 井川 和宣

 糖やアミノ酸,核酸(DNARNA),ステロイドなど,我々の体を構成する有機分子の多くは不斉炭素を有する「キラル炭素分子」です.生命現象のほとんどが,キラル炭素分子の立体化学によって精密に制御されています.それ故に,キラル炭素分子の一方の鏡像異性体(エナンチオマー)を得るための「不斉合成」に関する研究が世界中で膨大に行われ,2001年と2021年,二度のノーベル化学賞の受賞対象研究となっています.

 これに対して我々は,不斉ケイ素を有する「キラルケイ素分子」について研究を行っています.ケイ素は周期表で炭素の一つ下に位置する原子であり,炭素と同じように四つの単結合によって安定な四面体構造を形成します.そのため,ケイ素上に四つの異なる原子団を配置すると,炭素と同様に不斉ケイ素になり得ることが100年以上前から知られていました.しかしながら,キラルケイ素分子は自然界に存在しない非天然キラル分子であり,不斉合成法も未開拓であったために入手可能な光学活性体がごく限られ,その応用研究はほとんど行われていませんでした.我々は,不斉ケイ素の特殊性とともにケイ素の特長によって発現する特異な反応性や物性に興味を持ち,世界に先駆けてキラルケイ素分子の不斉合成研究に取り組んできました.例えば,基本的かつ重要なキラル炭素分子であるキラルアルコールやキラルカルボン酸の不斉炭素を不斉ケイ素に置き換えた,キラルシラノールやキラルシラカルボン酸を,また,より複雑な構造を有するキラルシラシクロペンタン類を不斉合成することに成功しています.その研究過程で,生物活性を示すキラルケイ素分子を見出し,その活性に不斉ケイ素の立体化学が大きく影響することを明らかにしました.将来,我々の研究成果から画期的なキラルケイ素医薬品が開発されるかもしれません.

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