熊本大学 理学部

Pure Science

同位体からみえる世界

地球環境科学コース 助教 可児 智美

 研究室ではいったい何をしているのかわからないまま、卒論でなんとなくたまたま地球化学研究室に入り、以来私は、質量分析計(TIMS)で同位体を測定し続けている。

 地球化学とは、水や岩石の同位体・化学組成分析をおこない、太陽系形成や地球惑星進化過程を研究する分野で、ここではストロンチウム(Sr)同位体について紹介したい。 同位体86Sr、87Sr、88Srのうち、87Srは87Rbのβ‒壊変により生成する。この放射壊変を利用し、火山岩、隕石や月面試料の年代測定から地質現象の時間軸を入れることができる。同位体は、太陽系形成や地球史上の様々な地質事件の起きた時を知る"時計"としての利用以外にも、地球内部や過去の地球の姿を映す窓にもなる。阿蘇などの火山岩の87Sr/86Sr値はマグマ生成に寄与した深部マントル物質の値を反映し、地球内部とその進化の情報を与える。また、海水87Sr/86Sr値は全海洋で一様で、何億年も太古の海水の値は海洋で生成した炭酸塩に化学的指紋を残しているから、過去のグローバルな表層環境を解読できる。私たちのグループは、2億6千万年前のペルム紀に起きた顕生代最大級の生物絶滅事件に着目し、当時の海水87Sr/86Sr値が特異な値を示すことを明らかにした。地球史を通じて変動する海水87Sr/86Sr値は、次の2つの供給源から海洋への流入バランスで決まる。大陸岩石由来の高い87Sr/86Sr値を持つ河川水と、マントル由来の低い87Sr/86Sr値を持つ(海洋プレート生成場である海嶺での火山活動に伴う)熱水である。各供給源から海へのSr流入は、大気組成、気候、大陸集合・分裂などで変化する。私たちは、ペルム紀の事件は、地球内部活動による超大陸サイクルと気候変動の組み合わせで引き起こされたと結論した。

 過去を学ばず未来予測はできない。地球上に出現以降、生物は大気組成をも大きく変え、大気・海洋は、地球深部を含む岩石圏と密接に関係する。地球は複雑な系だから、現在と未来の地球像を鮮明にするため、変動要因を見落とさないよう、長期的視点が不可欠である。

 最近、炭酸塩88Sr/86Sr値の高精度測定が可能になり、古環境解明の新証拠を提供するツールとなった。海水から炭酸塩が生成する時には88Srより中性子2個分軽い86Srが炭酸塩に選択的に取り込まれるため、古海水の温度やpHなど化学状態を示す炭酸塩生成/溶解指標として利用できる。そして、このツールを用いて、海洋プレートがマントルへ沈み込む場で地球表層からマントルへ循環する海水や運搬される物質の追跡の研究も始めた。これらの挑戦が地球環境について新たな知見をもたらすと期待している。

 TIMSによる信頼性の高い同位体分析は、地球だけなく地球外の試料のタイムカプセルをこれからもたくさん開け、時間と空間を超えて未知の世界の視界を明るくするはずだ。卒論の頃はただ、実験室で教わった先生の技を全て身につけなければと必死だった。美しい同位体の世界をようやく今、少し理解できただろうか。この先にどんな発見があるだろう。明日もこの実験室で、地球と宇宙の謎を解明する冒険を続けよう。