地球環境科学コース 教授 西山 忠男
植火山地帯で生まれ育った私にとって、慣れ親しんだ石と言えば、安山岩だった。何の変哲もない安山岩だが、近くの採石場に行けば、晶洞に結晶した美しい水晶や沸石を採集することができた。異次元の世界を垣間見せるようなその透明な結晶に私の心は吸い込まれていった。またある時、路傍で雲母片岩の小石を拾い、その雲母の妙なる輝きに至上の美を見る思いがした。それこそは少年の感性であっただろう。今であれば、蹴飛ばして歩くような石に過ぎない。
その雲母片岩に惹かれて、長崎県西彼杵半島を隈なく歩き始めた。緑色に輝くアクチノ閃石の放射状集合体、正八面体の端正な結晶形が自然の造形の不思議を教えてくれる磁鉄鉱、鮮やかな紫紅色の紅れん石片岩など、魅力的な鉱物と岩石が1億年の時を経て、私を迎えてくれた。「こいつらは僕を1億年も待っていてくれたんだ」と私は興奮と感慨に浸った。世界はそれを認識する者がいなければ存在しないに等しい。宇宙はそれを理解しようとする人類の出現によって命を吹き込まれたような気がする。同じように西彼杵半島と私との出会いは運命的な邂逅だと、不遜にも私はそのように感じた。
九州大学に進学した或る日、教養部の古ぼけた赤レンガの建物の2階にあった地学研究部の部室で、採集した岩石を整理していた。たまたま暇つぶしに入って来られた顧問の宮地貞憲教授に、「この石、何でしょうか?」と緑色の美しい採集品をお見せすると、一瞬表情が変わられた。「ひょっとするとこれはヒスイかもしれないね。だとすると大発見だ。今からすぐに調べよう」それから3日間、岩石を薄片にして顕微鏡観察したり、粉にして屈折率を測定し、X線回折法で結晶構造を調べたり、他の部員も巻き込んでてんやわんやの大騒動になった。結果は大外れだった。ヒスイの特徴はどの実験によっても現れず、件の石は緑色に着色した石英(緑石英)だという結論に落ち着いた。「残念だったなあ、でも諦めずに探せば見つかるかもしれないよ。まあ、今日は残念会だな」宮地教授はそう仰って、部員たちを近くの中華料理屋に誘い、3日間の奮闘を慰めて下さった。
それから3年。教授の言葉を心の頼りに西彼杵半島を歩き回り、私はついに真正のヒスイを発見した。宮地教授の予想は当たったのである。欣喜雀躍、その発見を報告に行った時、教授は癌に侵され、病床にあった。持参したヒスイの標本を差し上げると、教授は実に穏やかな表情で頷かれた。教授が他界されたのはその後しばらくのこと。45歳の若さであった。
西彼杵半島で発見されたヒスイ(県天然記念物指定)