理学部長 谷 時雄
「Pure Science」は熊本大学理学部で行われている研究の一端をご紹介し、基礎研究の奥深さ、面白さを高校生や若い世代の方々に知って頂くために、2007年から毎年発刊しています。第16号では、数学、物理科学、化学、地球環境科学、生物科学の各分野から1名ずつ計5名の先生に最近の研究成果や研究に関わる夢などについて執筆して頂きました。
新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、昨年以来、一時期は研究の担い手である大学院生も自主登校措置となったり、理学部でも研究室の活動を制限せざるを得ない状況が続きました。また、最新の研究結果を報告する国内外の学会も軒並み中止となって、研究の討論や情報交換が充分実施できない時期もありました。しかし、今回の「Pure Science」を読みますと、そのような状況下でも、各先生の科学研究の歩みは止まらず、一歩ずつ着実に前に進んでいる様子が伺えます。今、日本国内でもワクチン接種や治療薬の開発が進んでいますから、再び世界中の研究者が集まって、熱い討論ができる日も近いと思います。
私の専門はRNA分子生物学です。U6 RNAと呼ばれる細胞の核内に存在する低分子RNAの機能解析に大学院修士課程1年生の時に取り組んで以来、研究が進んで一つのことがわかると、その先に更にわからないRNAの世界が拡がっていて、いつの間にか40年が経ちました。私にとってRNA研究は未だに道半ばです。先ほど述べた新型コロナウイルスは、遺伝情報がDNAではなくRNAにコードされているRNAウイルスです。新型コロナウイルスに関連して、RNAは今や注目を浴びる研究分野になりました。私がRNAの基礎研究に取り組み始めた頃は、日本ではRNAについて解析している研究室は少なく、国内学会では広い会場に十数名しか集まらないような分野でした。それが、mRNAを使った新型コロナウイルスワクチン(mRNAワクチン)が開発され、RNAの文字を新聞で見かけない日が無い時代となりました。
mRNAワクチンを中心となって開発したハンガリー出身の科学者、カタリン・カリコ(Katalin Karikó)博士のmRNAに関する基礎研究は、当初なかなか評価されず、彼女の40年間にわたる研究生活は、研究費も乏しく苦難の日々であったと聞いています。今では、彼女の「世界を救う」研究業績は大変高く評価され、ノーベル医学・生理学賞の有力な候補となっています。そのようなノーベル賞に値するRNAの応用研究も、数多くの様々な基礎研究の成果があって、その上に開発されたといっても過言ではありません。まさに、mRNAワクチンは基礎研究と応用研究が表裏一体であることを示す一例でしょう。
「Pure Science」を読まれている皆さん方の中からも、テレビ番組のインタビューで「物事が期待通りに進まない時でも周囲の声に振り回されず、自分ができることに集中してきた」と謙虚に話されていたカタリン・カリコ博士に続く、次の世代を担う若き理学研究者が育っていくことを期待しています。
レーザー共焦点顕微鏡による細胞内RNA分布の解析