purescience
第13号 2018年12月
阿蘇の草原植物のふるさとを訪ねて
この原稿を今、韓国で書いています。韓国へは研究材料となる植物の調査採集のために来ました。韓国には日本と共通した植物がたくさん生育しています。隣の国なのでそれは当たり前のことなのですが、私たちはその中でも特に草原に生育する植物のグループに着目しています。熊本では阿蘇の草原が身近にあり、一面のススキの草原やそこに咲くオミナエシやキキョウ、シオン、ヒゴタイやハナシノブなどを実際に見たことがある人も少なくないでしょう。そして同時に、そんな植物たちの多くが絶滅危惧種であることもよく知られています。彼らはなぜ絶滅危惧になっているのでしょうか。その理由のひとつは、彼らの生育場所である草原がだんだんなくなってきているからです。日本の草原はほとんどの場合、ヒトの手によって維持されていて、放棄されると遷移が進んで林になってしまいます。阿蘇では古い時代からの牧畜のため、草刈りや野焼きという人為的な管理によって草原が保たれてきました。そのために現在の日本では阿蘇でしか見られないような広大な草原植生が残されていると考えられているのです。
日本では限られた場所にしか見られない草原植物たちですが、日本海を挟んだ大陸にも同じ植物が出現します。「満鮮」と呼ばれる、中国東北部の満州から朝鮮半島にかけての地域に広い草原があって、日本では絶滅危惧とされる草原植物がたくさん生育しているのです。彼らはもともと大陸で起源した植物で、かつて日本と大陸が陸続きであった頃に、大陸から日本に渡ってきたのだと考えられています。当時は寒冷で乾燥した気候で、現在の満鮮地方にみられるような草原が日本にも広がっていたのでしょう。最終氷期後の温暖化によって、日本では森林面積が拡大し、草原植物達の生活場所は縮小してきました。現在見られる日本の草原の植物は、そんな過去の気候変動の名残ともいえます。
奇妙なのは、大陸では満鮮地方の内陸部に広く出現しているのに、日本では西日本にしかみられない草原植物があることです。それらの植物達は、気候的に問題のないはずの東北地方や北海道には見られません。その理由として、彼らが大陸からやってきたルートが西回りで、東日本の北部まで到達しなかったという可能性が考えられています。彼らはいったい、どのくらい前にどういったルートで日本にやってきたのでしょうか。私たちはそれを調べるために、各地の集団の遺伝的構造を比較することで明らかにしようとしています。そのためには、現存する集団をできるだけたくさん調べることが必要になります。日本各地の集団だけでなく、大陸のできるだけ広い範囲から材料を採集しなくてはなりません。これまでにロシアや中国を何度か訪れました。今回の調査では韓国南部と北部の数カ所で調査と採集を行います。遠い時代に大陸から渡ってきた阿蘇の植物達。私たちの研究によって、その壮大な旅路を明らかにしたいと願っています。